「see/saw」 2012

2012. Jul. at ヨコハマ・クリエイティブ・センター(横浜)
2012. Aug. 「大地の芸術祭・越後妻有トリエンナーレ」参加
      at ポチョムキン/矢放神社/十日町市中里・倉俣地区
2014. Feb. at PenangPAC(マレーシア・ペナン)
2014. Feb. at KLPac(マレーシア・クアラルンプール)
2014. Aug. at 金沢市民芸術村 アート工房(石川)

「see/saw」Digest

演出・振付 : 矢内原美邦
映像・照明 : 高橋啓祐
音楽 : スカンク/SKANK
美術 : カミイケタクヤ
衣裳 : スズキタカユキ

出演 :
小山衣美 絹川明奈 福島彩子 クリタマキ 山下彩子

アンサンブル出演:絹川友梨 金子愛帆 望月美里 高橋和誠 富松悠 高橋和誠 クリタマキ 前川はるな 門田寛生 武田祐美子 大庭りり子 木下毅人 柴山美保 佐々木至 佐々木至 泰山咲美 伊東彩香 定行夏海 大熊聡美

photo:Hideto Maezawa

Flyer design: Okamoto Tsuyoshi+ Takuya Kamiike

- Concept -

おそらくは誰もが子どもの頃、一度は遊んだことがあるシーソー。その語源はsee「見る、反復する」+saw「のこぎり、前後に動かす」らしいですが、この"see"と"saw"という現在と過去の単語がひとつになったこの言葉からは、さまざまな記憶のイメージが浮かんできます。ギッタン、バッコンと上になったり、下になったりを繰り返しながら、それぞれの高さで、僕らはそこからなにを見ていたのでしょうか?そしてそのとき、向こう側のもう一方には誰が乗っていたのでしょうか?

やがてシーソーが傾いて、一方に乗った君が跳ね上がったときに見た風景を、もう一方で沈む君が想像するところからはじめます。

これからやってくる日々を思い出し、それまでやってきた日々を綴り、どうしてそれが選ばれて、どうしてそれは選ばれなかったのか、君は考え、ある日に生まれ、ある日、死に、ここではないどこか遠くで見た風景を想像して、「見た?」と聞くと「見た」と君は答える

 人は人が死ぬとおそらく世界中、宗教に関係なく、花を供えるようです。なぜ人は死者にお花を供えるのか。そんな素朴な疑問からこの作品は始まっています。人の死はきっと、死ななかった人にとって、それぞれの風景でつながっているように思います。きっと花はその風景を象徴するものだと仮定します。死ななかった人は死んでしまった人との記憶にある、いつかの風景を花として供えているようにも思います。
 もちろんそれがたとえ同じ風景であっても、それは人それぞれで違います。その人が生まれてきた環境や、時間、その関係性や、もちろん思考や価値観、宗教、身体によっても違うでしょう。自分がシーソーに乗っていると例えるならば、その高さや低さ、重さや軽さ、またはそのスピードによって。
 人はそうした時間を積み重ねることによって、いろいろなことを知り、記憶し、自分の人生にたいして、または死にたいして、主観的になっていきます。自分がシーソーに乗っていると例えるならば、もう一方には誰が乗っているのかを想像することができるか、どうか。そしてのその誰かは、自分か、他者か。
 人が一輪の花を人に捧げる瞬間、今までのその人と、これからと、たった今との、それぞれの距離を感じながら、同時に自分の死をかすかに予感しながら、そしてそのことと距離をおいて生きながら、どうすれば自分の生とか死とかを客観的に見つめなおすことができるのか考えたいと思います。これは記憶についての作品ですが、いろいろな人のそれぞれの記憶の断片を集めて、作品自体を記憶化するイメージです。
 見る、と、見た、その間にある風景について。

- Interview -

高橋森彦(舞踊評論家)「矢内原美邦 ~新生Nibrollの目指すものとは」

+ Ballet Factory

- Review -

石井達郎(舞踊評論家)「炸裂する怒り、哀しみ、空虚感」
 鬱積した感情を若者たちの「身体の風景」に還元するようなニブロールには、いつも注目してきた。既存のダンス語法に頼らないばかりか、映像とサウンドとダンスがそれぞれ独立した魅力を放ちながら展開する方法論はポップでありながら、切実である。矢内原美邦は『前向き!タイモン』で岸田戯曲賞を受賞するなど、このところ劇作でも特異な才能を発揮していたが、彼女がダンスから少しでも離れていると、日本のコンテンポラリーダンスに大きな隙間ができてしまうように感じるのは私だけだろうか。 『see / saw』はそんな空白を埋めてあまりある、本格的なダンス作品。今という時代と社会に向けて、怒りと哀しみと空虚感が炸裂する。その根底に三・一一があるのは明らかだが、作品は具体性を排し、イメージの強度に訴える。生と死、記憶と現実、今見てること(see)と過去に見たこと(saw)。まさに「シーソー」のように揺れ動くコインの両面ーそんな二つの世界を分割するように白と黒を対比させたカミイケタクヤの美術が秀逸だ。舞台中央に置かれ、包帯をぐるぐる巻きにされたシーソーは、本作を象徴すると同時に、すべての傍観者でもあるのだろう。
  冒頭、舞台奥で静かに動く小山衣美の中世的な存在感が魅力的だ。すぐに三名の少女が加わり、白地に朱の入った衣裳で楽しげに戯れる。しかしそのすべてがやがて訪れるカタストロフの前兆である。暗転になり風船がバチバチと破裂するあたりから、舞台は白から黒へ。すさまじい勢いで動く集団の衣裳は黒尽くめ。背景に映し出される住宅地や海は、かつてそこにあった光景なのか。中盤、全員の絶叫シーンがえんえんとつづく。叫びつづける以外の表現をすっかり閉ざされてしまったかのように。
  ニブロールを中核で支えてきた高橋啓祐の映像は、実写・アニメ・抽象を巧みに使い分け、作品に鮮やかな色づけをする。また、スカンクのサウンドは、観る者の心をえぐるように作品を引っ張ってゆく。矢内原、高橋、スカンク、カミイケが共にひとつの方向性を共有しながら、それぞれの領域で創造力を全開しているのが快い。
  家族の者、周りの者が亡くなり、見慣れた光景が崩壊し、すべてが眼の前から瓦礫のように崩れ落ちてゆくとき、人は何ができるのだろうか。そして舞踊家はどこを見つめ、何を表現するのか。一部の舞台人が取り上げているテーマではあるが、ニブロール結成以来十五年の蓄積を、安易な同情や感傷をしりぞけながら矢内原が渾身の力で投げかけた。欧米やアジアの他の国々とは違う独自の展開をしてきた日本のコンテンポラリーダンス。そこからだからこそ生まれたと思わせる傑出した作品である。


榎本了壱(アートディレクター)
 ヨコハマ創造都市センターで、Nibrollのダンス「see/saw」を見た。ニブロールは、常に何かを強く訴えかける衝撃力のある作品を発表し続けているが、今回の「see/saw」はその中でもベストワークと評していい素晴らしい作品だ。前半は4人のダンサーによる、いかにも矢内原美邦の振 付けらしい動き。日常の仕種とトリッキーなムーヴメントを美事にフュージョンした暴力的で被虐的な、しかしリリカルなダンスだ。それは、時間と空間を正確 にプログラミングした、高橋啓祐の幻惑的な映像とリレーションをとりながら進行する。さらにはスカンクの機械音のような無機質でミニマルな音楽が、じわじ わとそれを強力にサポートしていく。何気ない、しかし決定的な記憶への回帰と、それほど遠くない死への戦慄、抵抗、あるいは共鳴。動くことで解体してしま いようなダンサーたちの肉体が、生への希求から死へ至る危機感をも呼び起こしていく。後半は、スズキタカユキデザインの、黒いコスチュームの18人の若いダンサー、アクターたちがぞろりと登場して来る。ここで前半の「生」のモチーフが一転 「死」のテーマへと移行する。日常のプロダクツが飛翔して永遠に飛び去っていく映像の中で、彼らはあらん限りの声を絞って叫び続ける。世界の終わりに立ち 会っているような絶望と、しかしそれでも林檎の種を蒔こうとするような若々しいアンビバレンツ。ヨコハマ創造都市センターのギリシャ風な白い巨きな列柱 が、死を祀る斎場にも見えてきて、彼らの熟練していない動きや発声が続く。それがかえってダンス作品という既成の完成度を拒絶しながら、リアルで真摯な答えのない行為の連続から、切ない程の共感をオーディエンスに投げかけて来る。矢内原美邦はまた一段と成熟している。そして高橋啓祐とのコラボレーションは、Nibrollというユニットを、確実にインターナショナルな地平へと、ライジングさせた。必見の作品である。


佐々木敦(評論家 / HEADZ代表)
 ヨコハマ創造都市センターにてニブロール『see/saw』。矢内原美邦らしさを存分に注ぎ込み、更に新生ニブロールとしてのネクストディメンションを鮮やか に提示した、恐るべき舞台。とにかく一個の作品としての凝集力が並外れている。映像も照明も光も完璧。2012年ニッポンの「痛み」のダンス。ここ数年の矢内原ダンス作品の中でも最も成功していると僕は思った。ナイーブな少女の傷だらけの内面を、壊れかかったまま激しく痙攣し続けるティーンエイ ジのからだを抱えたまま、ニブロールは大人になった。これなら矢内原美邦の未来は明るい。いや、彼女のダンスは明るくない未来に光を射すだろう。


四方幸子(キュレーター)
 ニブロールの《see/saw》。身体、音、映像、影‥何もかもが極限へと相乗していく、その壮絶さに震撼。3.11を想起させずにはいられない。作品として昇華されながら、ここまでガツンとぶつけてきた意志とエネルギー、そして何よりその実現を喜びたい。


越後妻有トリエンナーレ2012

撮影・編集:高橋啓祐

2012年8月24日・25日
at ポチョムキン/矢放神社/十日町市中里・倉俣地区

出演者や技術者など作品に関わるすべての経緯で、地域の人たちの協力をあおぎ「see/saw 倉俣ver.」を制作。この地区にあるカサグランデ&リンターラ建築事務所制作作品「ポチョムキン」と矢放神社、そして広大な田んぼの畦道を舞台に作品を展開。現地で集めた廃材でお神輿を作り、この地に伝わる盆踊りを再編し、ダンス、演劇、朗読、映像、音楽、美術などなど、あらゆる視点から、この作品について考え、この土地の記憶を掘り起こし、今と未来をつなぐ作品を目指して制作。

マレーシアツアー

2014年2月22日 at Penang PAC
2014年2月28日 - 3月2日 at KL PAC

マレーシアのペナンとクアラルンプールでの公演。日本からの4名のメインダンサーに加え、現地で公募した約20名のダンサーと共に再制作。

+ Japan Foundation Kuala Lumpur

参加したダンサーのコラム
Zyen Hoo「a dancer’s perspective」(English)
+ zyenhoo dot com


主催:ニブロール Japan Foundation Kuala Lumpur

- staff -

舞台監督:鈴木康郎 湯山千景
宣伝美術:岡本健+ カミイケタクヤ 高橋啓祐
記録写真:前澤秀登 Yuhei Kaneda
映像記録撮影:イタバシヒロノリ 及川夕歌

主催:ニブロール
   公益財団法人金沢芸術創造財団(金沢公演)
   大地の芸術祭実行委員会(新潟公演)
共催:ヨコハマ創造都市センター 公益財団法人横浜市芸術文化振興財団(横浜公演)
   金沢市民芸術村アクションプラン実行委員会(金沢公演)
   Japan Foundation Kuala Lumpur(マレーシア公演)
後援:北國新聞社 北陸放送 石川テレビ エフエム石川(金沢公演)
助成:芸術文化振興基金
協力:急な坂スタジオ

企画・制作:プリコグ

Special thanks :
十日町市中里倉俣地区のみなさん 伊藤磬

- Archive Site -

+ 2012 横浜公演

+ 2012 越後妻有トリエンナーレ

+ 2014 マレーシア公演

+ 2014 金沢公演


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